『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』

老舗ということについて考えてみたい。
何代も続いた店は老舗と呼ばれる。だが、店が何代も続くということは、考えてみれば、ものすごいことである。
この本に登場する浅草の老舗は、関東大震災や東京大空襲を経験した。二度にわたり壊滅的被害を受けたということになる。
また、浅草では1970年代に、六区興行界の暗黒時代を経験した。テレビの普及により街全体がさびれてしまったのである。

しかし、この本に登場する店主の祖父や父親は、関東大震災、東京大空襲から再建した。そして、いまの店主たちは浅草の暗黒時代を克服した。
こうして店が続いたから、老舗として残っている。
すごいことではないだろうか?

この本は、浅草のすき焼き「ちんや」の六代目である著者が浅草の老舗の主人9名と対談した内容をまとめたものである。
その老舗とは、江戸趣味小玩具の「助六」、「弁天山美家古寿司」、「宮本卯之助商店」、「駒形どぜう」、割烹家「一直」、浅草おでん「大多福」、「浅草演芸ホール」、「ヨシカミ」、「辻屋本店」である。
みなさんも名前を耳にしたり、あるいは実際に行ったことがあるのではないだろうか。

 

著者は「あとがき」にこう書いている。
(東京大空襲のあと)「店舗は焼けてしまっても、逃げ延びたひとたちが、店の信用や技術つまりソフトウェアを持っていれば商いは再建できたのです」

そして、1970年代の六区興行界の暗黒時代を克服したことについては、
「ビジネス書のハウツーに従えば、70年代に浅草に居続けるという経営判断は非経済合理的だったといえます。儲けるためには、この町を捨てて他所へ打って出るべきでした。業界全体が斜陽だった場合は業態を変更した方がよかったのだろうと思います。しかし、その案は、結局、どなたも採用していません。
皆さんがそういう人生を選んだ理由は、やはり戦争の記憶だと私は思います。人間の、へなちょこな合理性など吹っ飛ばしてしまう経験を経て、皆さんは自分の人生の目的として儲け以外のもの、非経済的なものを考えるようになったのだろうと私は想像しています」

筆者が実際に老舗を守り抜いた店主たちとの対談を終えて実感したことであり、ここにポイントがあるように思う。
つまり、ビジネス書に書いてあるような合理性だけでは、店は続けられなかったのである。そして、合理性など、いざというときは吹っ飛んでしまうものなのである。
このことは、私もみなさんも、頭の隅に置いて置いていた方がいいと思い、紹介した次第である。

 

浅草はなぜ日本一の繁華街なのかから

 

 

心に残り続ける昭和のおかあさん
浅草のおかあさん

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『浅草はなぜ日本一の繁華街なのか』
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