北海道から浅草に引っ越してきた小説家である著者。
引っ越してきてから、小料理屋などを舞台に浅草の濃い人間模様を描いたのがこの本の内容である、と一見思えるかもしれないが、実は違う。
浅草の人に成り切ろう、成り切ろうと思っても、成り切れない、著者の焦り、淋しさというものが描かれている。
そんな著者の気持ちは、「第九話国木屋」での、結城伸次との会話に表れている。
著者自身、下町の出身であり、本所、深川、立石、柴又に住んだことがある。そして、浅草で毎日飲み歩いているならば、立派な浅草の人じゃないかと思えるかもしれないが、違う。
本所、深川、立石、柴又も代表的な下町だが、そんな下町に住んでいた人だからこそ味わう浅草の魅力、浅草へのあこがれといったものがある。
著者もそんな思いで、浅草に引っ越ししてきて、浅草の人に成り切ろうと思ったに違いない。
しかし、成り切れない。
それは、浅草の人に成り切ろうと思っている人の浅草は心で描いた浅草であり、素顔のままでいる浅草とは違うからである。
根っからの浅草っ子は「浅草の人になろう」なんて思うはずもなく、いまある浅草をあるがまま受け容れて暮らしているからである。
『小説 浅草案内 (ちくま文庫)』から
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』
『小説浅草案内』