『ぼくは浅草の不良少年ー実録サトウ・ハチロー伝』

「ちいさい秋みつけた」「リンゴの唄」の作詞で有名な、詩人サトウ・ハチローと浅草はなかなか結び付かない。
しかし、サトウ・ハチローは転校8回、留置所入り30回以上の浅草一の不良少年だったという。

きっと、再婚した父への反抗、仙台へ帰った実母への思いなど、胸中複雑なものがあったに違いないが、この本に出てくるサトウ・ハチローは豪放磊落というか、自由奔放というか、喜劇の塊のような男だ。

池袋警察署の新築落成式に呼ばれて、お酒を飲んでの帰り池袋で暴れて、昼間来賓として出席した警察の留置場へ、その晩は開設第一号としてぶち込まれた話

ニセ学生として美術学校に潜り込み、「新入生はここに並べ」と上級生の訓示までたれ、教授には友だちの作品を見せ、教授から「肩のところがちいっとまずいなァ」と言われると、友だちの作品にもかかわらず、肩の部分の粘土をごっそりもぎとってしまう話

結婚しても吉原通いをし、花魁の子供の勉強まで見て寝泊まりしているうちに、「浅草吉原揚屋街十二番 佐藤八郎」と表札までかけられてしまう話

木馬館の女の子「おしィちゃん」に恋をし、親には「この頃乗馬をやっています」と嘘を言い、木馬館のメリーゴーランドの馬にばかりまたがり、ラムネ売りの婆さんに「おしィちゃん」への仲介を頼んだところ、その婆さんが「おしィちゃん」の母親だったという話…… など、笑い転げるような話が満載だ。

そして、「あたしがね、ある年の春の野球大会へ立教中学のユニホームを着て出たんです。その年の春の終わりの大会の時は、高輪中学のユニホームを着て出たわけです。その次に夏の大会の時は藤沢中学のユニホームを着て出たんです。そうしたらアンパイアをやっていた佐々木という慶応の人が、『お前、そうユニホームを変えてくるなよ』」という話に、なんと天皇陛下まで笑われてしまったのだ。

 

この本を読むと、思わぬ収穫がある。
この本には。浅草オペラ、続く「カジノ・フォーリー」「新カジノ・フォーリー」のことがしっかりと書かれているからだ。
その後、レビュー劇場として再発足した玉木座で「プペ・ダンサント」が結成されたが、サトウ・ハチローはエノケンの友だちだったこともあり、「プペ・ダンサント」の総文芸部長となる。だから、浅草オペラ~カジノ・フォーリー~プペ・ダンサント、そしてエノケンのことを詳しく知りたい人には、この本はたまらない。当時の情景がありありと浮かぶはずだ。

 

ぼくは浅草の不良少年―実録サトウ・ハチロー伝から

 

 

心に残り続ける昭和のおかあさん
浅草のおかあさん

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『ぼくは浅草の不良少年ー実録サトウ・ハチロー伝』
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