大晦日の浅草は賑やかで華やかである。昼から「雷門」の大提灯の前は人でごった返し、その黒山は年賀の飾りつけを済ませた仲見世へと続く。
一年の御礼とひと足早い初詣気分を味わいたいのだろう。
だが、「雷門」から、通りの向かいを見ると、長い列が横丁に入り込んでまで続いている店がある。精肉店の「松喜」だ。
一年を通してみれば、すべてが順調だった、上手くいった、何事もなかったということなど、ありえないということである。
そこには、かならず苦しかったことがあり、泣きたくなることだってあり、投げ出したくなるときだってある。
それが人生となると、なおさらである。かならず浮いたときもあれば沈んだときもある。だけど、どんな場合でも、前を向いて進んでいかなければならない。
浅草の店とて同じである。長年、商売を続けていけるなんてことは至難のわざに等しい。
不本意にも店をたたまなければならないときだってある。ただ、そんなときでも、前を向いて歩いていかなければならない。
だが、浅草の男たちはつくづく幸せ者である。おかあさんたちがいるからだ。
浅草の亭主たちも「おれは、もうだめだ」と思うときばかりだと思う。
そんな亭主の前に、大晦日、おかあさんたちはひと言も言わず、すき焼きなべを置いてくれる。
そこには寒風の中、一時間以上も並んで買った「松喜」の肉が入っている。
『浅草のおかあさん』
第28話 「松喜」の肉で締める大晦日 から
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』
第28話 「松喜」の肉で締める大晦日