浅草の小料理屋「志万田」の女将志万(しま)が、17のときに男を追って東京に来て、浅草の女になっていく姿を描いた小説ですが、描写がきれいですね。
志万と志万の店で働く美智江が吾妻橋の袂から見た夕暮れの隅田川はこう描かれている。
「美智江は黙って雨に煙る川面を見ていた。
ぼつぽつと家灯りが点って水墨画に彩色がなされた。五月の雨の川辺はため息が零れるほど美しかった。吾妻橋の袂にふたつの傘が寄り添うように並んでいた」
きれいな情景ですね。
この本には、「浅草暮色」「橋の夕暮れ」「花火のあとで」「暮鐘」「無言詣り」「弁天の鼠」「浅草のおんな」という目次があり、それぞれ物語として完結しているが、主人公、ストーリーは一本の糸で結ばれている。それが時の経過であり、浅草のおんなになっていく姿でもある。
浅草の情景描写も見事ですが、浅草の人の思いや、感情といったものも見事に描かれていると思います。
素敵な言葉も出てきます。
「恩返しは恩を受けた人に返せないんだ。受けたものを違う人に返すんだって」
「君は浅草って街がわかってないね。この街で見た奇麗なものも醜いものも、すべて、あの川の水とともに流れていくんですよ」
巻末の道尾秀介氏の解説の中に、伊集院静氏が書いた『白秋』の話が紹介されていたが、私もこの本を読んで『白秋』のことが頭に浮かんだ。それは、『浅草のおんな』は酒の肴を、『白秋』は花を、ストーリー展開の上で相当こだわったと思うからだ。
『浅草のおんな (文春文庫)』から
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』
『浅草のおんな』