2023.04.01更新
あの芥川龍之介も浅草を舞台にした小説を書いている。
小説のタイトルは『浅草公園』だ。
ただ、この小説は文庫版にして、たった21枚にすぎない。
超短編小説だ。
おまけに、各段落に1、2、3と番号がついている。
内容も何を言っているのか、さっぱりわからない。
しかし、タイトルの横に、― 或シナリオ ―と書かれていることにヒントはありそうだ。
じつは、
『浅草公園』は日本のレーゼシナリオの代表作品に挙げられている。
レーゼシナリオは、映画脚本(シナリオ)の形式で書かれた文学作品で、レーゼドラマの一種といわれている。
つまり、この小説は、映画のようにいくつかのシーンがつながっているのだ。
それゆえ、各シーンには「柱」がある。
「柱」とは、舞台となる場所を指し示す言葉で、カメラを置く場所(撮影場所)と考えればいい。
だから、この小説は、
1 浅草の仁王門の中に吊った、火のともらない大提灯。
2 雷門から縦に見た仲店。
3 仲店の片側。
といったように、場所が示されている。(番号はシナリオ番号)
そう理解すると、
4 こういう親子の上半身。
66 斜めに上から見おろしたベンチ。
といった表現もカメラからの視点ということで理解できる。
この小説の解説も見てみよう。
解説には次のように書かれている。
浅草公園で父と逸れ、不安に揺れる少年の心情を、浅草公園の風景の断片と重ね合わせて、短いショットを連続させるスタイルを採る。猥雑なエネルギーを孕む浅草公園の風景は、谷崎潤一郎や室生犀星が好んで取り上げたが、押し寄せる不定形の現実に、芥川が晩年に採用した方法の一つは、『年末の一日』の『詩に近い』『純粋な小説』『「話」のない小説』とともに、イメージの断片を繋ぎ合わせ、それを集積する方法であった。
わかりにくい解説だが、要は、この小説で芥川龍之介はレーゼシナリオという手法を使ったということだ。
この小説を読んだ読者は、得体のしれない不気味さを感じる。
また、主人公の少年の気持ちになって、言いようのない不安も覚える。
それこそが、著者の狙いだったということだ。
まさにシナリオが見事に功を奏したということになる。
この小説の舞台に一つとなっている浅草六区
迷子になった少年は、この六区で何を感じたのだろうか?
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』