「昔の絵ハガキと今の光景はどこか違う」と感じた人に打ってつけの本だ。
承知の通り、仲見世の玄関口にある雷門も門がない時代があった。その後さまざまな仮設門が設けられ、現在の姿になったのは昭和35年のことである。
観音様自体も、仁王門も昔の姿と異なるのである。
この本は昔の手彩色の絵ハガキや写真と、現在の光景を比較している。
観覧券やチラシなど当時の貴重な資料も掲載されている。
この本に目を通した人は浅草の奥行がグッと深まるだろう。
この本から見えた「思わぬ浅草」「浅草の姿」「浅草の魅力」を紹介したい。
1.昭和戦前期の六区の夜景
人が行き交う昔の六区の写真は目にすることがあるが、六区の夜景が紹介されていることは少ない。
この本に掲載されている六区の夜景は、「ここはラスベガスかと見間違う」ほど絢爛豪華なのだ。
私たちは六区の映画館や劇場を、自分が育った時代と重ね合わせ、古びた煤けた建物と思いがちだが、とんでもない。ホテル級の立派な建物だったのである。
2.威容を誇る松屋デパート
浅草で戦前から建物の外観が変わっていないのは松屋デパートだ。
ただ、この本に載されている戦前の松屋デパート(昭和6年竣工 地上7階建)の姿を見ると、その威容に度肝を抜かれる。
そう見えるのは、当時は高い建物がなかったせいだ。写真から高い建物と呼べるものは、神谷バーくらいである。
写真からわかったことは、松屋デパートは昔も今も浅草が誇る建物だということである。
川端康成や永井荷風の小説の舞台になっているデパートである。
3.貴重な浅草オペラのチラシ
大正期のオペラ館のチラシが掲載されていた。
チラシにあった「啞の旅行」は当時の有名な出し物である。
本などには「啞旅行」と書かれていることが多いが、「啞の」と「の」が入っている。
著者は、出演者から田谷力三、二村定一、清水金太郎、井上起久子の名を挙げているが、清水静子、明石須磨子の名も欲しかった。明石須磨子は浅草オペラ俳優藤村悟朗と結婚している。
4.山谷町にやってきた子ども神輿
絵ハガキ写真の特徴は観光に訪れたり、視界に入った場所を取りあげていることだ。
この本には大正期の「山谷町にやってきた子ども神輿」があった。
この写真には浅草に訪れた人が一人も写っていない。100%地元に住んでいる人が写っているということだ。
子ども神輿を先導する、まだ大人とは言い切れないほど若い青年。
家の前から幼子を抱えながら見るおかみさんと、同じく幼子を肩に乗せ見る旦那。二人は夫婦なのだろうか。
よく見ると、材木を立てかけている家の前に、神輿をかつぐ年齢に達していない子どもが親の前に立っている。この家は材木屋なのだろうか。
そんなことが次から次に浮かぶのだ。
この人たちは人の目を意識した人たちでない。
自分たちの世界で活きる人たちだ。
これが本当の浅草の姿なのである。
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』