浅草で昔の姿をそのまま残すのは、松屋デパートの屋内階段だ。
大理石の手すりと袖壁、子供のときからまったく変わっていない。
松屋デパートは戦災を免れたから、昭和6年の開業から変わっていないのだと思う。
浅草の財産とも呼べる階段だが、残念ながらほとんど紹介されることはない。
この階段は浅草で生まれ育った子供たちにとっては、忘れられない階段である。
昭和30年代にはすでにエスカレーターがあったと記憶しているが、親からおもちゃや文房具を買ってやると言われると、この階段を駆けて上ったものだ。
お目当てのフロアの光はどんなに眩しかったことか。
また、浅草の子供たちは、「ひとり遊び」といったものをけっこうやった。
たいていは松屋デパートの階段を上ったり下がったりし、各フロアを偵察したのだ。
いま、浅草の人情というものがよく取りあげられる。
浅草で生まれ育った私たちからすれば、それは嬉しいようでどこか薄っぺらさを感じてしまう。
浅草の人情を作ったものは何かということが大事なように思う。
その元になっているのは、子供たちが見たもの、触れたものではないかと考えるのだ。
いま松屋デパートは松屋浅草という。
だが、浅草で生まれ育った浅草の人には、いつまで経っても松屋デパートだ。
なお、松屋デパートの屋内階段が変わっていないことを示す貴重な写真が「松屋浅草」のfacebookに掲載されていたので、画像をお借りして紹介しておきたい。
松屋浅草facebook
https://www.facebook.com/asakusa.matsuya/
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』
松屋デパート浅草の屋内階段