2023.05.03更新
浅草の子供たちは三社祭を経験し、大人になっていく。
浅草に嫁いできたおかあさんたちは、三社祭を経験し、浅草の女になる。
「自分は本当に浅草の嫁になれたのか」、それを問うのが三社祭だった。
そんな浅草のおかあさんたちの姿を、
『浅草のおかあさん』で描いた。
(浅草の女になる三社祭)
(本の抜粋)
浅草の夏は三社祭で始まる。人々の頭の上で揺れる神輿(みこし)。
男たちの「セイヤッ、セイヤッ」の掛け声。あまりにも有名な光景である。
だが、浅草っ子は、別な思いもこみあげてくる。
三社祭になると、おかあさんの顔つきがまるで違ったものになったからだ。
三社祭は毎年五月一七日、一八日に近い金・土・日曜日の三日間で行われる。
浅草っ子は、おかあさんの顔つきが金曜日・土曜日と日曜日とでは、まったく違うものになることを知っている。
山車や子供神輿が出ると、おかあさんたちは子供たちに付き添い町内を回る。
おかあさんたちの表情はやわらかだったが、「あんたたち、浅草の子だからね。三社さまの子だからね。だから、立派にひとり立ちするんだよ」という眼差しがあった。
町内神輿の担ぎ手を家から送り出すときは、おかあさんたちの顔つきは変わった。
そこには男を送り出すという女の目があった。
神輿を担ぎ終えた男が家に戻ってきたときは、男を迎えるという女の姿があった。
三社祭は三日の内、一日はかならず雨となるのは昔も今も変わらない。
ずぶ濡れになり泥まみれになった男たちを迎えるときのおかあさんたちの目はこわさまで感じた。
祭りの最終日、おかあさんたちの目には強い光があった。
本社神輿が渡御するからだ。
渡御は「とぎょ」と読む。神輿が進むという意味だ。元々の意味は、おでましになるという意味である。
本社神輿三基は三手に分かれて浅草四十四ヶ町を渡御する。年によって一之宮が来たり、二之宮、三之宮が来たりする。
町内は、祭りが始まる前から、今年はどの本社神輿が来るかの話題で持ちきりだ。
一之宮には土師中知(はじのなかとも)、二之宮には檜前浜成(ひのくまのはまなり)、三之宮には檜前竹成(ひのくまのたけなり)の神霊が入っている。
本社神輿が町内に入ると、神輿の引継ぎが行われる。
ここまで本社神輿を渡御した町の町会長が挨拶し三本で締める。
すると、渡御を受けた町の駒札を半纏の背にした担ぎ手が、どっと神輿の担ぎ棒の下に入り込む。
町内会長は高いところに持ち上げられ、群衆の頭の上から、「これより雷門中部町会での渡御が始まります」などと発する。
拍子木が鳴り、一本締められると神輿は上がる。
町の長老たちは若い衆とは逆向きになって、いまにも進み出しそうな神輿の縦棒の先端(ハナ)に手の腹を当て押さえる。
それを見るおかあさんたちの目は、浅草の女の目に変わる。
そこには「あんたたち、他の町会に負けたら承知しないよ」という強い光がある。
「浅草のおかあさん」は、家の前から、男たちが担ぐ神輿を、神輿を担ぐ男たちを、じっと見つめていた。
その目はこわかった。
浅草のおかあさんが嫁いできたときには、すでに亭主の両親は亡くなっていた。
自分の力で浅草の嫁にならなければならなかった。
自分が本当に浅草の嫁になれたのか、それを問うのが三社祭だった。
そんな浅草のおかあさんの前で、神輿は一段と揺れた。
三社さま(浅草神社)
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』