浅草の夏は三社祭で始まる。人々の頭の上で揺れる神輿(みこし)。男たちの「セイヤッ、セイヤッ」の掛け声。あまりにも有名な光景である。
だが、浅草っ子は、別な思いもこみあげてくる。
三社祭になると、おかあさんの顔つきがまるで違ったものになったからだ。
三社祭は毎年五月一七日、一八日に近い金・土・日曜日の三日間で行われる。浅草っ子は、おかあさんの顔つきが金曜日・土曜日と日曜日とでは、まったく違うものになることを知っている。
山車や子供神輿が出ると、おかあさんたちは子供たちに付き添い町内を回る。
おかあさんたちの表情はやわらかだったが、「あんたたち、浅草の子だからね。三社さまの子だからね。だから、立派にひとり立ちするんだよ」という眼差しがあった。
町内神輿の担ぎ手を家から送り出すときは、おかあさんたちの顔つきは変わった。
そこには男を送り出すという女の目があった。神輿を担ぎ終えた男が家に戻ってきたときは、男を迎えるという女の姿があった。
三社祭は三日の内、一日はかならず雨となるのは昔も今も変わらない。ずぶ濡れになり泥まみれになった男たちを迎えるときのおかあさんたちの目はこわさまで感じた。
祭りの最終日、おかあさんたちの目には強い光があった。
本社神輿が渡御するからだ。
「浅草のおかあさん」は、家の前から、男たちが担ぐ神輿を、神輿を担ぐ男たちを、じっと見つめていた。
その目はこわかった。
浅草のおかあさんが嫁いできたときには、すでに亭主の両親は亡くなっていた。自分の力で浅草の嫁にならなければならなかった。
自分が本当に浅草の嫁になれたのか、それを問うのが三社祭だった。
そんな浅草のおかあさんの前で、神輿は一段と揺れた。
「浅草のおかあさん」の前で、神輿は一段と揺れた

三社さま(浅草神社)

◆「浅草のおかあさん」と呼ばれた女性の物語
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