浅草っ子にとって、松屋デパートは自分の成長と共にあった。
だから、心のふるさとなのだ。
このことを『浅草のおかあさん』では次のように描写している。
第19話 人生丸抱え「松屋デパート」 から抜粋
子供のころは屋上遊園地で遊び、小学校に入ってからは文房具を買い、中学や高校に行ってからはシャツやスラックスやセーターを買い、就職する際にはスーツを買い、就職してからはコートを買い、地下で食料品を買ったデパートで結婚式を挙げたことになる。
「松屋デパート」は浅草っ子の人生のあらゆるステージに関わっていた。
浅草っ子の人生を丸抱えで面倒を見てくれたことになる。
「松屋デパート」は浅草っ子の遊び友達だった。
一人で「松屋デパート」に行き、遊んだ浅草っ子は多い。
「松屋デパート」の屋上には日本で最初にできた屋上遊園地があり、遊戯施設もあったが、ミニ動物園のようなものもあった。屋上に出てすぐ左手にはアシカがいて、私はエサのドジョウを買ってあげたことがある。
ただ、屋上遊園地で遊ぶのは小学校低学年までで、小学校高学年からは松屋デパートの屋上から地下までをぐるりと回ることが遊びとなった。文房具売り場に割く時間が多かったが、あっという間に二、三時間が過ぎた。
屋上に遊園地があったことを示す写真
(松屋浅草facebookから)
「松屋デパート」の最大の魅力は入りやすかったことにある。
いまの「松屋浅草」が聞いたら怒り出すと思うが、子供ならランニングでも行けたデパートであり、おかあさんたちもおねえさんたちもサンダルを突っかけて行った。
私には、身支度を整えて「松屋デパート」に行ったという記憶がない。普段の姿のままで行けたデパートであり、こんなデパートは日本国中どこを探してもない。
浅草の本質のようなものを、ずばり突いたデパートだったから、愛着がやまないのだ。
残念ながら、2010年に「松屋デパート浅草店」は「松屋浅草」となり、4F以上の営業を取りやめた。結婚式場もいまはない。
浅草っ子はお目当ての階に、この階段を駆け上がった
「松屋デパート」で結婚式を挙げる人は多かった
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』