本の表紙を見ると、なにか悪いものでも見てしまったような気持になる。それと同時に、ちょっと、こんな世界を覗き見したいような気持ちにもなってくる。
浅草にオペラがあったと聞くと驚く人がいると思う。
それは、芸術と言われるオペラと浅草とはどうしても結びつかないからだ。
だが、大正の中期、浅草オペラは全盛期を迎えた。
観客の熱狂ぶりはすさまじく、「ペラゴロ」と呼ばれるファン同士が乱闘するありさまだった。
この本には、浅草で活躍したオペラ女優、俳優の名がズラッと出てくるが、一回読んだだけでは、なにがなんだかわからない。
著者の資料蒐集と、検証力はものすごいものがあるが、読者は関連性すらもわからないと思う。
浅草オペラについては、一般の人は読み方があるように思う。
キーワードを覚えることが必要だと思う。
そのキーワードは、「帝国劇場歌劇部」「ローシー」「原信子」「高木徳子」「女軍出征」「おってくさん」である。
キーワードを使って、浅草オペラを述べると、
明治44年、帝国劇場に歌劇部ができた。これが日本のオペラの始まりである。
ところが、歌劇部は採算があわないということで閉鎖されてしまった。
だが、帝国劇場の歌劇部にダンス教師として招かれていたローシーが、パトロンに援助を要請し、私財も投げうって、オペラシアターを赤坂に作ったことにより、帝国劇場のオペラを受け継いだ。
しかし、そのローシーもいろいろなトラブルを起こし、日本を去ってしまう。
それを、受け継いだのが、原信子である。原信子は東京音楽学校の出身であり、帝国劇場の教師として招かれ、その後ローシーの歌劇団でも活躍していた。原信子は原信子歌劇団を浅草で旗揚げした。
一方、原信子とはまったく別の流れで、渡米しバレエを修得した高木徳子が浅草に進出した。彼女が上演したのが、浅草オペラで伝説的な演目となった「女軍出征」である。「女軍出征」は各歌劇団で上演されているが、出演者たちは、本の表紙の右上のような姿をしている。
この2軸を押さえれば、あとは枝葉がついていくと思う。
「女軍出征」のフランス女士官、「カフェーの夜」の劇中劇である「おってくさん」を演じた女優が、当時の代表的女優ということになる。
インチキくさいような気配が漂うかもしれないが、かならずしも、そうではない。
この本には貴重な写真が満載されているので、写真を見るだけで楽しくなる。
また、女優たちの数奇な運命も知ることになる。
『あゝ浅草オペラ: 写真でたどる魅惑の「インチキ」歌劇 (ぐらもくらぶシリーズ)』から
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』