本の冒頭に、著者は代田橋、日暮里、高円寺、蒲田、池袋などに住んだことがあるが、浅草生まれでもなく、浅草育ちでもないことを紹介している。この点は、『小説浅草案内』を書いた半村良氏と同じである。
このことが、この本を決定づけていると言える。
それは、変な言い方になるが、浅草生まれでもなく、浅草育ちでもない人の浅草は詳細なのだ。浅草に執着を持って、関わろうとしているところに特色がある。
ここが、浅草生まれの久保田万太郎、沢村貞子の本とは異なるところである。この二人は、自分が見たままの浅草を書いている。
すごいなと思ったのは、浅草のニオイについても触れていることだ。
地下鉄銀座線のニオイ、地下鉄田原町駅を出て、地上に出たところにある2軒の焼きそば屋のニオイが書かれている。
たしかに、浅草のことをよく知っている人はこのニオイを感じるし、このニオイが好きでもある。
さて、この本には昭和52年、53年頃の浅草の姿が描かれている。
著者は昭和4年生まれだから、著者が48歳~49歳のときの浅草である。
よく言われているように1970年代の浅草は灰色の時代だった。テレビの普及と娯楽の多様化により興行街である六区が大不振に陥ったからである。
この時代の浅草は、どこもかしこも、すさんでいた。観音さまの裏の石碑などには、とても手を出すこともできないように、砂やほこりにまみれていた。吾妻橋や駒形橋の欄干なども、触りたくないほど汚れていた。人もすさんでいた。六区には、なぜ昼間なか歩いているのだろうと思えるような人たちもいた。
それゆえ、この本に描かれているような名所や名跡前とはちょっと違っていた。
だが、それも浅草であった。そこら辺が、ぜひ、著者に聞きたかったところである。
『ぼくの浅草案内 (ちくま文庫)』から
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』