浅草のケーキは、「ナガシマ」「アンヂェラス」「ミカワヤ」と共にあった。
三店とも、残念ながらいまはない。
これらの店のケーキを食べると幸せを感じた。
それは生活のなかにある幸せだった。
いまにして思えば、バタークリームケーキのなかに戦後昭和のにおいがあったような気がする。
1980年代まで、バタークリームケーキが主流だった。
バタークリームケーキはまさに昭和の時代と一緒にあったのだ。
・冒頭の画像は、なつかしい「アンヂェラス」のバタークリームケーキ
「ナガシマ」「アンヂェラス」「ミカワヤ」については、『浅草のおかあさん』のなかに記述がある。
その記述を紹介しておきたい。
(抜粋)
もらってうれしいものの一つに、「ミカワヤ」のケーキがあった。あったということは、いまは残念ながらない。
「ミカワヤ」は、オレンジ通りの「アンヂェラス」の並びと、雷門仲通り沿いにあった。二店あったということになる。
浅草でケーキといえば、やはり「アンヂェラス」が有名である。「アンヂェラス」はあの川端康成先生、池波正太郎先生が通った店として知られている。
「ナガシマ」も浅草の人には、おなじみの店だった。「ナガシマ」は雷門通りに面していて、バターケーキ全盛期の浅草の洋菓子店の花形だった。私の家も親せきや友人などが訪ねてくると、「ナガシマ」に行った。いまでも店のシンボルマークのダックスフンドを思い出す。
いつだったかは定かではないが、浅草で「ミカワヤ」のケーキが広まった。
私にとっても、浅草の人にとっても「ミカワヤ」は夢の店だった。
「浅草のおかあさん」が日傘をさし、白いワンピースを着て、「ミカワヤ」のケーキを持って歩く姿を、二階の窓からよく見た。
浅草のおかあさんは、「気をつかってもらったから」「世話になったから」と言っては、「ミカワヤ」でケーキを買ってお返しをしていた。
「ナガシマ」「アンヂェラス」「ミカワヤ」のケーキは、浅草のおかあさんたちがお世話になった人などに持っていくケーキでもあったのだ。
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』