第5話 「被官稲荷」

「被官稲荷」は幕末の町火消であり、侠客でもあった新門辰五郎が女房の病気が治るようにと山城(京都府)の伏見稲荷に祈願して、全快したお礼に建てた稲荷である。
「被官」は文字通り官を被るという意味である。その名から就職、出世にご利益があると言われている。
三社さまの横にある。

 

「浅草のおかあさん」は受験に関してはさばさばしていた。子供たちが志望校に合格しても、「よかったね」とささやくような声で言い、ほほ笑むだけだった。
だが、私たちはある話を耳にした。
都立高校の試験日に、「浅草のおかあさん」を三社さまの横の「被官稲荷」で見たという人がいた。
浅草のおかあさんは、その「被官稲荷」でお百度まいりをしていたという。

 

都立高校の受験は、子供たちが進学するうえでは避けては通れない道だった。第一志望が私立だったとしても、都立高校に進学する権利はぜったいに確保しておかなければならなかった。
子供たちは二月の定められた日に、一斉に受験した。
「浅草のおかあさん」にとって、どの子供が、どの都立高校を受けるかなんていうことは問題ではなかった。子供たちが真剣に自分の道を拓いている姿に心が動いた。
だから、子供たち全員がうまくいきますようにと、こっそり家を出て都立高校の試験時刻に合わせてお百度を踏んだ。
だが、現実には、うまくいった子供もいれば、うまくいかなかった子供もいる。
「浅草のおかあさん」が、うまくいった子供に「よかったね」とささやくように言ったのは、うまくいかなかった子供の気持ちを思っていたことを、私たちは知った。

 

浅草のおかあさん
第5話 「被官稲荷」 から

 

「被官稲荷」(三社さまの横にある)

 

心に残り続ける昭和のおかあさん
浅草のおかあさん

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第5話 「被官稲荷」
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