浅草っ子の音楽との付き合いの始まりがヨーロー堂ならば、映画との付き合いの始まりは、間違いなく六区だった。
音楽との付き合いを、おかあさんたちが取りなしてくれたが、映画との付き合いの場面にも、おかあさんたちがいた。
いまの浅草六区には残念ながら映画館はない。
六区は、いま、たいへんな盛況ぶりだが、訪れる人にとっては、「ロック」とカタカナで書いた方が自然かもしれない。本などで紹介されているストリップ劇場の「ロック座」、「浅草ROX」からは、とても漢字の「六区」をイメージできないし、「六区」ではちょっと前近代的な感じもする。
しかし、この地域を「六区」と書くところに意味がある。一つの区域を指すことになるからだ。
この地域を「六区」と呼ぶのは、明治になってから浅草公園に行政区分方式が取り入れられ、次の区割りが生まれたからだ。
〈一区〉浅草寺本堂とその周辺
〈二区〉仲見世
〈三区〉伝法院周辺
〈四区〉大池周辺の林泉地区
〈五区〉花やしきをはじめとする奥山一帯
〈六区〉埋め立て新造成地
(当初は馬道の一~三丁目、五丁目を中心とする七区もあった)
この新造成地に劇場、活動写真館などの興行施設が割り当てられたことから、六区は日本一の大歓楽街に発展した。
読者のみなさんは、きっと、あふれるばかりの人が行き来する昔の六区の写真を見たことがあると思う。その大元はこの地域に興行施設が割り当てられたからである。
『浅草のおかあさん』
第7話 おかあさんと六区で映画 から
いま、浅草六区はたいへんな盛況ぶりだ(右の写真は浅草演芸ホール)
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』
第7話 おかあさんと六区で映画