2023.04.22更新
今でも、浅草の人たちが忘れないケーキ屋さんがある。
オレンジ通りと雷門仲通りにあった「ミカワヤ」だ。
『浅草のおかあさん』では、「ミカワヤ」のことを次のように表現している。
もらってうれしいものの一つに、「ミカワヤ」のケーキがあった。あったということは、いまは残念ながらない。
「ミカワヤ」は、オレンジ通りの「アンヂェラス」の並びと、雷門仲通り沿いにあった。二店あったということになる。
いつだったかは定かではないが、浅草で「ミカワヤ」のケーキが広まった。
「ミカワヤ」に入ると、白黒テレビからカラーテレビに切り替わったような感覚になった。
ストロベリー、メロン、ピーチ、オレンジ、グレープなどで覆われたケーキの色彩が目に飛び込んできた。そんなケーキには夢があった。「これから、もっと、もっと明るい時代が来るぞ」と思わせるような未来もあった。
「ミカワヤ」のケーキは浅草の人の口にあった。
「ミカワヤ」のことを思い浮かべていたとき、はっと、あることに気づいた。
「ミカワヤ」は、漢字で書くと「三河屋」だったのではないかということである。
私の勘は当たっていた。いま、人気絶頂の食パンとロールパンだけの店「ペリカン」四代目店主渡辺陸氏が書いた本を読んでいるときだった。
そこには、「ペリカン」は元々「三河屋パン」という名だったが、オレンジ通りに「三河屋」という親せきのケーキ屋があり、いくら親せき同士でも同じ名前ではまずいだろうということで、「ペリカン」という名に変えたということが書かれていた。
私は、その記述を前のめりになって読んだ。なんと、「ミカワヤ」と「ペリカン」は親せき同士だったのだ。
浅草では、鰻の老舗「初小川」と、どら焼きで有名な「おがわ」が親せきであり、それゆえ、「おがわ」のどら焼きを包む袋にドジョウのマークが書かれていることが知られている。
まさか「ミカワヤ」と「ペリカン」が親せきだったとは夢にも思わなかったが、いかにも浅草らしく、妙に納得感もあり、うれしくなった。
浅草中の誰もが「ミカワヤ」を、「三河屋」と考えもしなかったことが、この店を象徴していた。
「浅草のおかあさん」が日傘をさし、白いワンピースを着て、「ミカワヤ」のケーキを持って歩く姿を、私は二階の窓からよく見た。
浅草のおかあさんは、「気をつかってもらったから」「世話になったから」と言っては、「ミカワヤ」でケーキを買ってお返しをしていた。
『浅草のおかあさん』
第8話 「ミカワヤ」のケーキ から
「ミカワヤ」は「アンヂェラス」の並びにあった。写真は「アンヂェラス」
「ミカワヤ」とパンの「ペリカン」は親戚だった。(寿町にあるパンの「ペリカン」)
なお、松戸に「ミカワヤ」というケーキ屋さんがある。
ご主人が浅草にあった「ミカワヤ」で修業したことが、
新京成電鉄が運営するオフィシャルブログCiaOCiaO(チャオチャオ)に書かれている。
(記事は下記をクリックしてください)
「ミカワヤ」の味は受け継がれているのだ。
上記ブログの画像を見ると、店の明るさが浅草にあった「ミカワヤ」に似ている。
特に下の画像のサバリンは、浅草の「ミカワヤ」とそっくりだ。
心に残り続ける昭和のおかあさん
『浅草のおかあさん』